長野地方裁判所松本支部 昭和43年(ワ)102号 判決 1969年7月17日
原告 東京電気化学工業株式会社
被告 信州名鉄運輸株式会社
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
一、申立
(一) 原告
「被告は原告に対し別紙<省略>物件目録記載の物件を引渡せ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言。
(二) 被告
主文同旨の判決。
二、原告の請求原因
(一) 原告は別紙物件目録記載の物件(以下本件物件という)を所有している。すなわち原告は株式会社相愛精機製作所に対し継続的にシンクロカセツトテープを販売していたところ、昭和四三年一月八日相愛精機が倒産するかも知れないという情報を入手し、ただちに社員鈴木暉彦を実情調査や売掛代金回収の交渉などのために相愛精機に派遣した。鈴木は同日夜相愛精機に到着し、同社々長藤森隆雄と協議したところ藤森は相愛精機が倒産に近い状態になつていることを認め、カセツト部門の製造販売は中止することになつたことを告げ、原告が相愛精機に対し売渡したシンクロカセツトテープのうち当時の在庫品である本件物件を含む一万二、九〇〇巻について原告に返品することを約した。よつて同日原告と相愛精機との間で本件物件を含む右在庫品について売買契約の合意解除がなされ、その所有権が原告に復帰した。
(二) 被告は本件物件を占有している。すなわち相愛精機は同月一〇日右在庫品を原告に返納するため被告にその運送を委託したところ、被告はそのうち本件物件を自己の手許に留めている。
(三) よつて原告は被告に対し本件物件の引渡を求める。
三、被告の答弁および抗弁
(一) 請求原因(一)の事実は不知。仮に右事実が認められるとしても、原告は本件物件の引渡をうけていないからその所有権取得を第三者である被告に対抗できない。
(二) 請求原因(二)の事実は認める。被告は原告主張の日時に相愛精機を荷送人、原告を荷受人とする本件物件を含む物件を諏訪市から東京都まで運送する途中、相愛精機から同社に返送するようにとの指図をうけ、直ちに被告東京営業所に連絡し同日同営業所に到着した右物件を同月一一日返送し、右物件は同月一二日被告諏訪営業所に到着した。
(三) 被告は運送業を営む商人であるところ相愛精機との間で継続的に物品運送の取引をしており、昭和四三年六月三〇日現在相愛精機に対し別紙債権目録記載の合計一九四万九、四〇〇円の運送債権(以下本件債権という-右目録記載の約束手形も相愛精機の被告に対する運送債務支払のため相愛精機から被告宛振出されたものである)がある。被告は商法第五八九条、第五六二条により本件債権全額について本件物件に対し留置権を行使する。なお本件債権のうち本件物件の運送について生じた債権は別紙債権目録記載の昭和四三年一月一〇日荷受人原告の一万九、七〇〇円の運送債権のみであるが、被告としては本件債権全額について右留置権を行使しうるものと解する。
(四) 仮に本件債権全額について右留置権行使が認められないならば、被告と相愛精機はともに商人であり、本件債権は双方のために商行為である行為によつて生じた債権であり、すでに弁済期が到来しているから、被告は本件債権について商法第五二一条により相愛精機との間の商行為によつて占有に帰した相愛精機所有の本件物件について留置権を行使する。
四、被告の主張に対する原告の認否
(一) 被告が運送業を営む商人であることは認めるが、本件物件運送の経緯は不知。
(二) 原告が本件物件の引渡をうけていないことは認めるが、被告は右引渡欠缺を主張する正当な利益を有しない。
(三) 留置権の主張はこれを争う。なお運送人の留置権は債権と運送品との牽連関係を必要とするものである。
五、証拠<省略>
理由
一、成立に争いがない甲第一号証、証人鈴木暉彦の証言によれば原告から株式会社相愛精機製作所に売渡しその所有となつていた本件物件を含む相愛精機在庫品のシンクロカセツトテープ一万二、九〇〇巻について原告主張のような経過で原告と相愛精機との間で売買契約の合意解除がなされたことが認められ、これによつて本件物件の所有権は原告に復帰したものというべく、また被告が本件物件を占有していることは当事者間に争いがない。
二、しかし原告が相愛精機から本件物件の引渡をうけていないことは当事者間に争いがなく、引渡は動産所有権変動の第三者に対する対抗要件であるから以下被告が引渡しなくして本件物件の所有権復帰を対抗できる第三者にあたるか否かについて判断する。
三、ところで動産所有権変動について引渡欠缺を主張する正当な利益を有する第三者に対しては引渡なくして右所有権変動を対抗できないが、その他の第三者に対しては対抗できると解すべきところ、同一動産についてその所有権とあいいれない物権を取得した者は右の正当な利益を有するものと考えられる。そして被告は第一次的に商法第五八九条、第五六二条による運送人の留置権を行使すると主張するところ、被告が運送人であることは当事者間に争いがなく、証人小林利雄の証言によれば、被告は昭和四三年一月一〇日相愛精機の委託により本件物件を含むシンクロカセツトテープ六五箱を諏訪市から東京都の原告のもとまで運送することとなつたが、運送途中相愛精機から返送するようにとの指図があつたので同日被告東京営業所に到達した右テープを返送し、同月一一日被告諏訪営業所に到達した右テープを相愛精機の依頼によりそのまま保管していたが、間もなく相愛精機が倒産状態になつたことを知り、相愛精機に対し運送債権を有しているところからその担保として本件物件を留置するに至つたことが認められる。そうだとすれば被告は前記の運送行為による運送賃について本件物件に対し運送人の留置権を有するものというべきである。しかし運送人の留置権は目的物の所有権が何人に属するとを問わず行使しうるものであるから、本件物件の所有権が原告に属することとあいいれない物権ということはできず、被告が本件物件に対し運送人の留置権を有することをもつて原告の本件物件の所有権取得について引渡欠缺を主張する正当な利益を有するものということはできない。
四、ところで証人小林利雄の証言およびこれによりその成立が認められる乙第一号証の一ないし七、第二号証、第三号証の一ないし八の各一、二によれば、被告は相愛精機との間で被告を運送人とする継続的な運送取引をしており、相愛精機に対する右取引による運送債権として被告主張のような本件債権を有していることが認められる。しかし運送人の留置権によつて担保される運送債権は留置の対象となる運送品についての運送行為によつて生じたものに限ると解されるところ、前出乙第二号証および被告の主張によれば、本件債権のうち本件物件についての運送行為によつて生じたものは別紙債権目録記載昭和四三年一月一〇日荷受人東京電気化学工業の一万九、七〇〇円の債権のみであることが明らかであるから、右一万九、七〇〇円の債権のみが本件物件に対する被告の運送人の留置権の被担保債権となる。
五、そこで被告は被担保債権全額について運送人の留置権が認められない場合に備えて予備的に商法第五二一条による商人間の留置権を行使すると主張するので、本件債権のうち前記運送人の留置権が認められる債権を除く債権について本件物件に対する商人間の留置権行使が認められるか否かについて判断する。被告が運送を業とする商人であることは当事者間に争いがなく、右債権が被告と相愛精機との間の被告を運送人とする運送取引契約によつて生じたものであることは先に認定したところから明らかであり、従つて右契約は被告にとつての商行為である。そして相愛精機は会社であるから商人であり、その行為は営業のためにすると推定され、商人の営業のためにする行為は商行為とされるから、右契約は相愛精機にとつても商行為である。よつて右債権は、被告にとつても相愛精機にとつても商行為によつて生じたものであり、従つて商人間の双方的商行為によつて生じたものであるというべきである。そして本件債権のうち運送代金支払のため約束手形が振出されたものについては先に認定した各手形の支払期日(別紙債権目録記載)からみてその支払期日がすでに到来していることが認められ、その余の本件債権についても証人小林利雄の証言によれば被告と相愛精機との間の前記の継続的運送取引の代金支払は毎月二〇日締切翌月一〇日払の方法によつていたことが認められ、先に認定した各運送行為の日時(右目録記載)からみてその弁済期はすでに到来しており、本件債権はすべて弁済期にある。また本件物件は被告が相愛精機との間の運送契約によつてその占有を取得した物であるから、被告にとつての商行為によつてその占有に帰したものというべきである。以上の点から考えて被告は商人間の留置権に基づき前記運送人の留置権によつて担保される債権を除く本件債権を担保するために本件物件を-それが相愛精機の所有に属する限り-留置することができる。従つて本件物件の所有権が原告に属する場合は右留置権が否定されることになるから右留置権は本件物件についての原告の所有権とあいいれない権利であり、被告は本件物件の所有権が相愛精機から原告に移転したことについて引渡欠缺を主張する利益があるというべきである。
六、しかし背信的悪意者に対しては、それが引渡欠缺を主張する利益を有する第三者であつても、正当な利益を有しないものとして引渡なくして動産所有権移転を対抗しうると解されるので、被告が背信的悪意者にあたるか否かについて判断する。被告は本件物件の運送に従事し、それによつて相愛精機の原告に対する本件物件の引渡にあたつていたものである。被告が右運送のため受取つた本件物件を留置しているため右引渡がなされないでいることは、被告が前記の背信的悪意者にあたるのではないかとの疑問を生じさせる。しかし被告は本件物件の所有権が何人にあろうとも、前に認定したような運送人の留置権を本件物件に対し行使しうるものであり、本件物件を留置することは正当な権利行使であつてなんらの義務違反もない。そればかりか本件物件の運送行為による引渡がなされなかつたのは、本件物件の運送途中において荷送人である相愛精機から本件物件を返送するようにとの指図があり、被告が運送人の義務としてこれに従つたためである。そうだとすれば右の事実から被告を前記の背信的悪意者であるとすることはできないし、ほかに被告が背信的悪意者であることを基礎づける事実の主張立証はない。従つて被告は原告の本件物件の所有権取得について引渡欠缺を主張する正当な利益を有する第三者である。
七、そうだとすれば原告は本件物件の所有権をもつて被告に対抗することができず、原告の本訴請求は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 竹重誠夫)